琉球王国歴史に登場する「越来の白椿」が見頃です。
南国の花といえばハイビスカスやブーゲンビリアが思い浮かびます。でも沖縄では1月には桜が開花し一足早い春を感じることができます。
そんな春の足音が聞こえる沖縄ですが、冬に咲く花の「椿」も見逃せません。
南の島に椿?と思うかもしれません。冬に咲く花なので沖縄で咲いているイメージがわかないかも。
沖縄で椿の木は実際それほど多く植栽されているわけでもありませんが、時折植えているお宅を眺めては風情があるなと思います。
目次【本記事の内容】
- 1. 琉球王国時代の歴史に登場する椿とは?
- 2. 尚泰久王とは
- 3. 越来グスクとは
- 4. 越来の白椿伝説
- 5. 1月が見頃の白椿
琉球王国時代の歴史に登場する椿とは?
さて話が長くなりましたが、今、沖縄市越来の民家で白椿が満開です。
実はこの白椿は15世紀中頃に、第一尚氏6代王の尚泰久王が越来グスクに王子として居城していた時に、越来の村娘との間に第一子が産まれたことを喜んで植えた歴史的な白椿なのです。
尚泰久王とは
尚泰久王は第一尚氏の6代王になります。1429年に三山を統一した尚巴志の5男にあたり、1454年に琉球国王に即位。万国津梁の鐘を鋳造したり、海外交易や琉球国内での仏教の普及に努めました。またこの頃「護佐丸・阿麻和利の乱」が起きますがこれを鎮めました。
コザ十字路絵巻の地図はこちら
越来グスクとは
越来グスクは沖縄市城前町にあり、この辺りは小高い丘になっています。グスクというだけあって城壁もあったようですが、沖縄戦直後に米軍に破壊され、周辺の地盤改良に利用されたそうです。
今は城壁もなくモニュメントを残すのみの公園となっていますが、このグスク周辺からはたくさんの琉球王国時代の貴重な出土品が発見されています。
また、越来グスクは琉球を作った神様「アマミク」による建てられたという”おもろ”(伝承歌)が残っていたことから、2019年6月に国指定名勝に追加指定されました。
越来の白椿伝説
尚泰久王は即位する以前に越来グスクに居城していました。この頃は越来王子と呼ばれていました。越来グスクには地理的な位置関係で中北部を統括する重要な場所だったことから、王家の直属の王子が任されたということです。
越来王子20~40歳ごろの約20年間ここに住んでいたようですが、その頃に越来の村娘でノロの世利久(せりきゅう)との間に第一子が産まれました。その子が男の子だったことから越来王子はたいそう喜んだそうで、村家に白椿の木とミカンの木を拝領したそうです。
ミカンの木は程なく枯れたそうですが、椿の木は琉球王国時代の時の流れを経て、廃藩置県後沖縄県になり、明治大正昭和そして沖縄戦の戦火を奇跡的に免れ、なんと戦後昭和から平成の初めまで元気に咲き誇っていたそうです。
1月が見頃の白椿
しかし残念ながら平成の初めに白椿も枯れたそうです。枯れる直前に枝を挿し木して増やし、もとあった場所と沖縄こどもの国などに移植したそうです。移植後20数年が経ち、今また白椿は冬の1~2月頃に白い花を咲かせています。
一旦は枯れたものの、琉球王国時代からの記憶を残す白椿。越来王子が幼い百十踏揚を抱っこしながら眺めたりもしたのでしょうか?
そんな歴史的な価値のある白椿の花を、ごーやー荘にご宿泊の際には見に行ってみてはいかがでしょうか?
越来の白椿のおおまかな地図はこちら
白椿の木は民家内にありますので、勝手に入ったり住人の方に迷惑とならないように、道路脇で観るようにしてくださいね。
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